日記・コラム・つぶやき

ドラマについて

それは「書店ガール」の親本である「ブックストア・ウオーズ」を書き上げて間もない頃だったと思う。
当時ある感動実話集がベストセラーになっていた。ところが、そのエピソードの一部がネットからの流用であることが発覚し、回収騒ぎが起こった。人気商品だっただけに、どう対応すべきか、書店関係者の間でも話題になっていた。
が、私の尊敬するある書店員がこれについて、
「俺は売るよ。それを求めるお客がいる限り、売るのが俺の仕事だから」
と言い切った。
それを聞いたとき、自分はまだまだ書店員のことがわかっていなかった、と思い知らされた。
書店員が売るのは好きな本だけではない。モラル的にどうかと思っても、こんな下品な本と内心思っても、求める人がいれば売る。買いたい人に届ける。
きれいごとではなく、商売とはそういうものなのだ、と。

だから、「戦う!書店ガール」の第一話で、
「どうせあんたたちだって、流行に乗っかって本を売りたいだけなんでしょ!」
とタレントのアリーさんに言われたとき、渡辺麻友さん演じる亜紀が逆ギレして、
「それのどこが悪いんですか。私たちは書店員です。本を売るのが私たちの仕事なんです!」
と言い切ったのを観たとき、思わず泣きそうになった。
そうだ、それが書店員だ。
本を売る、たったひとつのことのために、書店員の仕事はあるのだ。
そこに誇りを持つ、それが書店員なのだ。
そこをちゃんと描いてくれたから、私はこのドラマはオールOKだと思った。
多少のドラマ的な誇張や、原作との違いなどたいした問題ではない。
大事なのは、書店員の書店員たる所以をちゃんと描いてくれることなのだ。

そして、それを演じた渡辺さん、感情剥き出しで怒鳴り返した。みんなに好かれるアイドルにあるまじき形相で。
その瞬間、渡辺さんが亜紀という役にみごとに重なった。
慣れた役者だったら、そんなシーンを演じてもどこか可愛く見せようとする。そうした計算をしない渡辺さんのまっすぐさ、純粋さ、生真面目さこそ実は亜紀というキャラクターのよさそのものでもある。単に熱血とか、努力家とか、誰にでもわかるふたりの共通点だけでなく。

「戦う!書店ガール」というドラマのよさはいろいろあるけど、第1話のこのシーンがあったから、私にとって大好きなドラマになった。
いまは第4話まで終わったところ。第5話からは原作にある書店閉店問題がいよいよ表面化し、理子が苦境に立たされる。原作では描けなかったキャリア女性の可愛さを見せてくれた稲森いずみさんが、追い詰められた理子をどんなふうに演じてくれるか、木下ほうかさんたち上司連中がどんな悪役ぶりを見せてくれるか、楽しみにしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本屋がなくなるということ

昨日、ある方から本の王国野並店が、近く閉店になることを教えてもらった。
地下鉄の駅が延長になったことでの打撃を受けていることは伺っていたが、ついに、と胸が塞がる想いである。
本の王国。
私の実家に一番近い本屋である。
このブログでも訪問記を書いたことがあるが、地域の男の子たちの憩いの場になっていた素敵な本屋である。
そこがなくなってしまうことは、本当に寂しい。
あの男の子たちは、これからどこに集まればいいのだろうか。

その街が好きになれるかどうかは、そこに好きな人がいるか、好きな場所(自然)があるか、というだけでなく、そこに好きな店があるか、ということも大事なことだ。私にとっては、よい本屋があるかどうか、というのは、なにより大きな問題である。極端な話、洋服屋や雑貨屋はなくてもいい、いい本屋さえあればいいのだ。
本屋がない街、本屋が寂れている街は寂しい。
本屋というのは、その街の文化基準なのだ。
故郷が、そんな寂しい街になってしまうのは、切ないことである。

幸い、現在住んでいる場所は、そこそこ本屋環境に恵まれている。すぐ近所に小さいが、頑張っている本屋があるし、駅前まで出れば、100坪以上の本屋も何軒かある。日常的には困らないけどーーと、思っていたら、つい先月まで隣駅の駅前にあった本屋がなくなっていることに、昨日気がついた。
間口が狭く、奥行きが広く、真ん中に長い長い雑誌スタンドがあり、右手の壁側はコミック、左手の壁側は文庫という実にわかりやすい、構成の店だった。コミックと雑誌に力を入れてるからには若者向けかと思いきや、置いてある文庫が妙に年寄り向けっぽく、ラノベはなく、時代ものが充実している。有川浩はないのに有吉佐和子が何冊か置いてある、そんな店だった。そこだけ時が止まったような、のんびりした隣町の町並みに、なんともマッチした店だと、いっしょに行った夫と笑いあったものだったが。

本屋の閉店が相次ぐことは知っているが、身近な本屋が立て続けになくなるのは哀しい。
このブログを始めてまだ三年足らずだが、すでになくなった店がある。辞めてしまった書店員さんもいる。それについてコメント欄に書いたものもあるし、あえて何もコメントしてないケースもある。
だけど、このブログから外すつもりはない。
このブログは本屋の紹介というだけでなく、私が出会った店、出会った人の記録だからだ。
出会ったことを忘れたくない。
なくなってしまった店なら、なおのこと。
今は無くなっても、確かにそこにあった。そこに、こういう人がいた。
それはずっと残しておきたい。

拙著「書店ガール」を読んでくださった方なら、その中に一伸堂という本屋が出てくることを知っているだろう。
実はそのお店、私が以前住んでいた場所のすぐ近くに実在した店の名前である。そこが閉店すると知った時、自分でも意外なほどショックを受けた。前住んでいたのは新宿区だったから、本屋環境については今以上に恵まれていた。だから、本が手に入らなくて困るということはなかったが、一伸堂がなくなるということ自体が、衝撃だったのだ。
ただ本を買うだけでなく、立ち寄るたびに馬鹿話をした。私が版元の人間だとわかっていたので(当時は出版社勤務)、小さな本屋の経営がたいへんなこと、私が勤めていた会社の配本が少ないことの愚痴を聞かされたりもした。一方で「書店ガール」の親本が出たときはとても褒めてくださって、推薦コメントをいただいたりもした。ただ好きな店、という以上の関わりのあるお店だった。新宿区という、人と人との絆が薄い場所にあって、そこが唯一馴染みの店だったのだ。そこがなくなることで、その街での自分の居場所のひとつが確実になくなった、と思った。

その時の記憶が、「書店ガール」の加筆の際に、一伸堂という名前を蘇らせたのである。
もうその街にはない。だけど、確実にそこにあった。その名前だけでも、小説にとどめておきたかったのである。

その後、一伸堂のご主人とは一度も会っていない。どこにいるのかも知らない(新宿区にいないことだけは確かだ)。
だけど、何かの拍子に拙著を手に取り、そのことに気づいてくれるかもしれない、私のことを思い出してくれるかもしれない、ということを、実は密かに願っているのだ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

Book・Laのこと

私の営業活動をツイッターで熱心にフォローしてくださった方のひとりに、1万年堂の営業の出口さんという方がいる。担当地区が九州で、大学が愛知だったということもあって、私に関心を持ってくださったらしい。取材ノートを私が無くしたとき、わざわざ西鉄の駅に行って、遺失物の中に届いていないか、確認をしてくださったりもしている。とても親切な方だ。
この出口さんの薦めで、3ヶ月ほど前、私はBook・Laというソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に入会した。すでにSNSはミクシィに入っているのでどうかな、と思ったが、こちらは地方の書店やそのお客さんが中心になっているという(立ち上げたのは、宮崎の金海堂の中村社長)。苦境にある地方書店を活性化させるための何かができないか、ということではじめた試みだというのだ。
その心意気がいい、と思った。時代はSNSよりもツイッターに移っているとはいえ、固定的な関係をネットで深めるには、SNSはまだまだ有効な手段だろう。それに、業界ウオッチャーとしては、地方の書店さんのダイレクトな声というのも聞きたいということもあった。それで入会することにした。

Photo_4 実際のBook・Laは、まだまだ小さな組織だ。だが、それゆえに結びつきは強い。入ったとたん、広島のウィー東城店の佐藤さんから連絡をもらった。こんな無名の作家でも、作家が参加したことをたいへん喜んでくださった。そして、そちらのお店で私の本のフェアをしてくださることになった。同様の申し出を、佐賀の積文館書店伊万里店の方からもいただいた(写真上がウィー東城店の写真。下は積文館伊万里店の写真)。
なんというか、SNSに入会しただけで親近感を持っていただき、拙著を紹介していただける。ありがたいことである。ことに、伊万里というのは親の出身地であり、いとこも住んでいる。自分自身も何度も訪れている。縁の深い場所だ。そこで私のフェアをやってくださるというのは、感慨深いものがある。それだけでも入ってよかった、と思ったくらいだ。

Photo_3 だから、というわけではないが、この組織、もっと広がるといい、と思う。とくに、ナショナルチェーンでない地方書店の方がもっと増えれば、できることはいろいろ広がるのではないか、と思う。ウィー東城の佐藤さんはBook・La参加書店オリジナルのフェアや共通帯を作ることを提案されている。地方店舗ならではのサイドビジネスを考えたりもしている。まだアイデア段階で、実現には至っていないが、そういう試みがいろいろ増えると、書店ももっと面白くなるだろう。
SNSなので、気軽にチェックはできないが、もし参加してみたいという方があれば、私に連絡ください。とくに地方で頑張っている書店さん、あるいは版元の人や作家も多いに喜ばれます。こちらにコメントいただくか(承認性なので非公開にできます)、ツイッターの私のアカウント@aonokeiに連絡いただければ、仲介させていただきます。
よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高倉美恵さんとブックオカの人たち

101軒目は藤沢のジュンク堂。なぜか大崎梢さんといっしょに訪問しました。とても楽しかった。
だが、それを書く前に、今まで触れられなかったことをいくつか書いておきたい。
まずは、高倉美恵さんと福岡の書店員さんたちのこと。福岡在住の元書店員の高倉さんと知り合ったのは、実はミクシィ上であった。オリオン書房の白川さんとは以前からマイミクだったのだが、彼の日記にコメントを書き込んだところ、高倉さんから「もしかして碧野圭さんご本人ですか?」とメッセージをいただいた。高倉さんは拙著「ブックストア・ウオーズ」を読んでくださっていて、その感想をブログに上げてくださっていたのだ。
http://blog.goo.ne.jp/takakura777mie/e/84bb66a32fde694115254f642435bab6
「ブックストア・ウオーズ」は文庫にもなっていない本だが、書店員ものということで、私の著書の中ではこれが一番書店員さんに印象深いらしい。私のことを知っている書店員さんは、たいてい「ブックストア・ウオーズ」の著者として私を認識してくださっていた。
で、高倉さんのブログを拝読して、とても嬉しい気持ちになった。こういうふうに読んで下さったら著者として本望である。
そんなわけで、高倉さんとマイミクになり、私の中では勝手に高倉さんは福岡の友達になっていた。だから、西日本営業を考えたとき、真っ先に高倉さんのいる福岡、と思っていたし、高倉さんに聞けば、福岡で周るべき書店も教えてもらえるだろう、と勝手に思い込んでいた。

それで、連絡を取ると、期待にたがわず、高倉さんは石風社の編集者の藤村興晴さんと協力して、完璧な書店周りリストを作ってくださった。おまけに福岡の二日目の晩には、高倉さんが幹事になって、呑み会を開いてくださることにもなった。
行くまでに高倉さんにメールで何度も連絡を取り、いろいろ質問したりして万全な体制を整えたつもりだった。呑み会があるのは、西日本営業の最後の晩だったので、素晴らしい締めになるだろう、と思っていた。
実際、その宴会当日に取材ノートを無くす、という失態がなければ、福岡営業は完璧なものになっただろう。福岡滞在中に、100軒目の営業を終えられたかもしれない。だけど、ノートを無くしたことで、その計画がぱあになった。動揺して、それどころではなくなったのだ。あとで数えたら、無くしたノートに記録していたのは神戸から福岡初日までの16軒分。かなりな分量である。それを記憶で補完できるかどうか、この時点では定かではなかったし、あまり自信もなかった。

で、まあ、宴会当日の私は、動揺しまくっていた。
当日来てくださったのは高倉さん、石風社の藤村さんのほか、書肆侃侃房の井上豊明さん、丸善の徳永さんと熊谷由美さん、りーぶる天神の本田賢吾さん。みなさん、ブックオカのメンバー。ブックオカというのは、福岡の書店が中心になって行う本のイベント。2006年から開催されているというから、最近増えてきたこの手のイベントでも、先駆けの部類に入るだろう。福岡人はお祭り好きだし、こういうイベントも祭り感覚で楽しんでいるんだろう。私の訪問も、そんなお祭りの一環で捕らえてくださったのかもしれない、などと最初は思っていた。
宴会は柳橋もつ元。もつ鍋ではなく、もつ焼き。というと、なんというか、煙がもくもくと立ち込める店内におやじがくだを巻く、そんなイメージだが、この店はいたって上品。古民家風な広い店内、お座敷に各テーブルがゆったりとおかれている。もつ焼きも、かつて食べたことのない上品さ。柔らかい。うまい。酒はもちろん焼酎。水割り。くいくいいけます。おまけに、お酌をしてくださった藤村さん(だと思う。井上さんかもしれない)が、注ぎ上手というか、こちらのコップの酒量が半分くらいまで減るとすかさず注ぎ足してくださる。それを押さえない自分も自分だが。まあ、ノートを無くしたショックで、最初からペースを見失っていたんですね。

さらに、何気なく丸善の徳永さんが口にされた話が私を動揺させた。実は西日本営業中、ツイッターで何かとフォローしてくださった偕成社の営業の藤坂さんという方がいる。この方はかつて丸善の書店員をされていて、徳永さんとはかつて上司部下の関係にあった。それで、その宴会の前に藤坂さんから「碧野さんがショックを受けているみたいだから、フォローしてあげて」という内容のメールが徳永さんに届いたそうな。
それを聞いて、すごく驚いた。ツイッターだけの付き合いなので、藤坂さんがどういう人かはまったくしらない。まして、徳永さんと繋がりがあるなんて思いもしなかった。
取材ノートを無くすなんてことは、しょせん私個人の失態。それなのに、藤坂さんがそんなふうに気にしてくださったなんて。ほかにもツイッター上でいろいろメッセージを下さったり、なかにはノートを失くしたと思しき駅の駅員さんにわざわざ問い合わせてくださった方もいた。今日の宴会にみなさんが集まってくださったのも、たぶん、そのことに対する気遣いもあったんだな。
みなさん、どうしてそんなに優しいのだろう。
私、ある意味苦労人(笑)なので、打たれ強いのですけど、逆に優しくされることにはあまり慣れていない。悪意には毅然として立ち向かうけれど、優しさにはどうしたらいいかわからない。
それでもう、呑むしかない。で、呑みました。

あんなに呑んだのは、たぶん、5年前に会社を辞めてからは初めて。会社員時代には自棄酒をしたたかに呑むこともよくありましたが、この日は、自棄酒ではなく、とても気持ちよいお酒。なので、よけい回りました。
でまあ、この日したたかに呑んでしまったことが、翌日の下痢大腸炎の引き鉄になったのですけどね。
自業自得。
で、結局、翌日はろくに営業できず、アポをとっていたジュンク堂にもお断りの電話を入れて、福岡にダメ著者伝説だけ残して帰ることになったのでした。
無念。

でも、福岡に来られたことはとてもよかった。営業した店は少なかったけど、どれも印象的だったし、なにより高倉さんやブックオカの人たちに会えたことがよかった。実は丸善の福岡ビル店は閉店が決まっており、徳永さんも熊谷さんも、実はたいへんな状況になるのだが、そんなことは微塵も感じさせない明るさだった(このほぼ1ヵ月後に閉店)。その明るさにこちらも励まされた。たぶん、ノートを無くしたショックからすんなり立ち直ることが出来たのは、この呑み会のおかげだと思う。これがなかったら、いつまでもうじうじそれを引きずって落ち込んでいただろうと思う。思い切り呑んで、いろいろ吐き出せたこと、それに付き合ってくださった人たちがいたことで、とても救われた。
ありがとう、ブックオカの人たち。高倉さん。

なので、そのうち福岡を再訪せねば、と思っている。
ブックオカ、行こうかな。行きたいな。
あんな迷惑な著者はもうこりごり、と福岡の人たちが思っていなければ、この秋にでもまた行こう思っているのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

取材ノート紛失事件

さて、福岡で取材ノートを無くし、その分を先行でブログに上げていたのですが、抜かしていたそれ以前の分もようやくアップでき、時系列どおりに並び替えました。やれやれ、ほっと一息です。ノートを無くしたのは、神戸から福岡のリブロまでの16軒分。写真と記憶を頼りに書き込んだものの、細かい言葉のニュアンスや、事実関係に間違いがあるかもしれません。関係者のみなさま、もうしわけありません。こちらにご連絡いただければ、間違い等、すぐに訂正させていただきます。

西鉄のリブロを出て、天神の金文堂に向かう。場所がわからなくて、3.4回ほど資料を出して確認した。そして金文堂に到着し、挨拶したその時、ノートがないことに気がついた。途中、飲食に立ち寄ったわけでもないし、ノートを出した覚えもない。リブロのビルの1階や、地下鉄の中、天神の路上、そのどこかで資料を出したとき、薄いノートが滑り落ちたのだと思う。
さて、ノートを無くしたのはすごいショックだったし、困惑した。テープを回していないので、記録は写真とノートだけ。ノートを無くすということは、今までの取材がなくなったに等しい、その時はそう思いました。それまでの長い道のりやかかった費用、辛かったことなどを思い出すと涙が出た。がっかりしたあまり、この営業を始めたこと事態をひどく悔やんだりもした。
だが、結局、その分のブログをアップできた今だから言うのだが、それは悪い経験ではなかった。
よかったと思うまず一番の要因は、いろんな人から励まされたことだ。ツイッターに「取材ノートをなくした」と書いたところ、いろんな人から激励のコメントをもらった。ノートを無くしたことをリツイート、つまりその情報を広めてくれた人たちもいた。個人的な友人ばかりでなく、ツイッター上でしか知らない人たち、福岡在住の人たち、現役の営業マンの方、そういった人たちが、少なからぬ関心を寄せてくださったのは、本当に嬉しかった。なかには、私がノートを無くしたと思しきビルや地下鉄にわざわざ問い合わせをしてくださった方もいるのだ。たぶん、投げ出さずに16軒分書けたのは、そうした人たちの想いが後押ししてくれたからだと信じている。

それから、よかったと思うふたつめの理由は、もしノートを無くさなかったとしたら、ブログをアップするのにもっと時間が掛かっただろうと思うからだ。営業&取材がうまくいきすぎると、それだけで満足してしまう。それに、楽しければ楽しいほど、その店の記事をたくさん書こうとして、肩に力が入るだろう。それが逆に自分を追い詰めて、なかなか取り掛かれない、ということにもなりかねない。実際、東北営業があまりにもうまくいきすぎたために、ブログを上げるのにかなりの時間を要した。神戸から福岡初日までは順調すぎるほど順調にいっていたし、海文堂や啓文社など、強烈な出会いもあった。なまじメモを読み返していたら、あれも書こう、これも書きたいと、収拾がつかなくなっていたかもしれない。

さて、この出来事を通じて思ったのは、まず、取材ノートは厚いものにしよう、ということ。薄くて、ほかの資料の間に挟まったり、滑り落ちてもわからない、そういうものではダメです。
それは教訓として残りました。
それから、覚えているうちに、さっさと記事をアップさせること。ノートよりも何よりも、自分の記憶こそが最大の武器である、それも学びました。
これを機会に電脳化を推し進めたら、というアドバイスもいただきましたけど、それはあんまり考えていない。データばかりふやすのも管理が面倒だし。
あと、一番思ったのは、整理整頓が大事だということ。バッグの中も、机の上も。何があるとかないとか、一目瞭然にしておけば、探す手間もいらないし、無くし物も少ない。
以来、バッグの中は少しきれいにしています。

かなり痛い目にあって、それだけのことしか学ばなかった進歩のない自分ですが、まあ、終わりよければすべてよし。
あと数軒の営業とブログのアップ、頑張ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

白川さんのこと

営業記録の1軒目のところで、私が「ブックストア・ウォーズ」の取材のために、オリオン書房ノルテ店に3日ほど研修したことを書いた。その時、指導係としてついてくれたのが、白川浩介さんだった。彼がいわゆるカリスマ書店員(そう呼ばれることを、本人は嫌がっているが)と呼ばれる人だ、という事はなんとなく知っていた。でも、書店業界の右も左もわからないその頃は、白川さんというのは本好きの、気さくなお兄さん(私よりうんと若いが)という感じだった。業界の人だったら、白川さんに3日といえど、教えを乞うことができたことをうらやましい、と思うのだろうが、何にも知らない私には、猫に小判、馬の耳に念仏状態だった。

私が、どれくらい書店のことを知らなかったか、というエピソードがある。研修の3日の間に、レジの仕事、検品、雑誌の付録をつけるなど、一通りの仕事をやらせてもらっていた。あるとき、検品の終わった本がレジ横に置きっぱなしになっているのに気がついた。
「私、これを棚に出しておきましょうか?」
何かやりたい、役に立ちたいという一心でそう尋ねると、白川さんは一瞬、すごく複雑な顔をしたが、「いいですよ」と、おっしゃった。まあ、ここまで読んで、この先の展開がわかる人にはわかるだろう。
私は3分も経たないうちにギブアップして、白川さんのところに戻ってきた。
「すみません、できませんでした」
白川さんは、ほっとしたように、あるいは私が理解したことを理解した、という顔でにっこり微笑んだ。

そうなのだ。本屋の本棚にはぎっしり本が詰まっている。1冊棚に入れようとすれば、1冊出さなければならない。だが、じっとにらんでも、どの本が不要でどの本が必要か、さっぱりわからない。そもそも、オリオン書房の文芸の棚は、著者名のあいうえお順に並んではいない。だから、何をどう並べたらいいのか、部外者には理解不能だったのだ。
この時、初めて私は書棚の本の並び方には、それぞれ担当者の個性がある、ということを知ったのである。さらに、その棚の並べ方で、書店員の見識とか実力が測られるものだ、ということは、しばらく後になってから知ったことだった。

「本を並べる順番はどうやって決めているんですか?」
「そうですねえ。勘というか」
白川さんからもはっきりした説明は得られなかった。おそらくその棚その棚で白川さんなりの基準というものがあるのだろが、うまく説明できない感じだった。
その時、いろいろな話を伺ったと思うのだが、記憶に残っていることは残念ながら少ない。メモを取っておけばよかった、とつくづく思う。ひとつはっきり覚えているのは、白川さんの場合、いい本で絶版になりそうなもの、絶版が決まったものは、ひそかに集めておく、と言われたことだ。時に、絶版と目録に記載されていても、倉庫の奥から出してきてもらったり。だから、版元にはなくても、オリオンの棚にはある、という本もいくつも混じっているらしい。これは素人でもわかるすごいことだった。ほかの人にはなかなかできないだろうということも見当がついた。当時取材したリブロの矢部潤子さんが、「今、文芸で一番勢いがあるのはオリオンの白川さん」とおっしゃっていたのは、こういうことの積み重ねなんだろうな、と思った。
しかし、それは、白川さん自身の知識と行動力、版元営業とのコネクションだけでなく、オリオンという店舗の大きさ、店の方針、さらにはそれを許す石黒店長や上層部の度量がなければ成立しない(在庫をそれだけ抱えることになるから)。それがわかったのは、もうちょっと経ってからだった。

ほかにも、白川さんの言葉ではっきり記憶に残っていることがある。それは、
「ヒット作を作ることは簡単だ。それより、お客さんに再来店してもらえることの方が難しい」
たぶん、これは酒を呑んで酔っ払っておっしゃったことだと思う。本屋大賞の仕掛け人の一人とも言われている白川さんが言うと、奢っていると取られかねない言葉だから。むしろ、普段の白川さんらしくない発言だから、強く印象に残った、とも言える。
だが、彼の名誉のために言っておくと、彼が言いたかったのは後半部分だ。それほど接客とは難しいものだ、ということなのだ。書店というのは、お客さんに足を運ばせてなんぼだ。コンスタントに売り上げを立ててなんぼ、なのだ。
これは、私自身が書店小説を書くうえで、とても参考になった。というか、そういう見方が小説の出発点となった。たぶん、このブログを書くうえでも、それは現れていると思う。
白川さん自身は、自分がカリスマ書店員と呼ばれることも、本屋大賞の仕掛け人と持ち上げられることも、とてもクールに捉えている。
「たぶん、今、カリスマ書店員の推薦と言うやり方で売ることが流行になっているから、そうなっているんでしょう。そこで自分たちは踊らされているだけです。まあ、踊って売れ行きがよくなるのなら、それでもかまわないですけど」
「本屋大賞だって、いつ手放してもいいと思っている。自分たち以外の人で、ちゃんと運営してくれる人がいれば、それでもかまわない。もちろん、やれる限りはできるだけ頑張りますけどね」
一見、ドライとも思えるそのスタンスだが、私にはよく理解できた。案外、ものごとの中心にいる人はそんなものだ。編集者として幸いにもその業界のトップと言われる人に会うこともあったが、そういう人たちはみな共通している。仕事を一生懸命やった結果、たまたま人から評価されるようなことになってしまっただけで、評価されることが目的ではない。だから、評価されることに対しても幻想を持っていない。

こうして書いてみると、やっぱり「ブックストア・ウオーズ」には白川さんに触発されたことがずいぶん入っているんだなあ、と思う。主人公のひとり、理子というのはまぎれもなく白川さん的な考えの持ち主だ。
実は、白川さんとの関わりについては、これまであまり言わないことにしていた。隠してきたわけでもないが。「ブックストア・ウオーズ」のために取材したお店を公にはしない、というのが新潮社の方針だったし、純文学や海外文学に造詣の深い白川さんの好みと私の小説はあまりにもかけ離れているので、私と親しいことを知られることが、彼のプラスになるとは思えなかったのだ。さらに、本屋大賞のスタッフでもある白川さんと関わりがある、ということについて、他人からいろいろ誤解されかねないだろう、と思ってもいたし。本屋大賞狙いとかね(まさか、そんなことくらいで、全国書店員の投票で決まる賞が影響受けるなんてありえないことなんですけどね)。
でもまあ、そろそろ時効だろう。それに、白川さんも文芸から人文に担当が変わられたことでもあるし。

今回、いろんな書店をめぐって、いろんな書店員さんに触発されている。それを記していくことはとても楽しい。私自身はライターだったこともあるから、取材原稿は原点に戻ると言う気がする。小説とはまた違った楽しさがある。
だが、だからこそ、白川さんに触発されたことも書いておきたかったのだ。そこからすべてが始まっている、という気がするから。今回お会いする方たち以上に、私がいろいろ教えていただいた方だから。
それに、たぶん書くということが、物書きである私にとっては白川さんにしていただいたことへの最大の感謝の方法だと思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

はじめに(続き)

書店営業100軒。
出版業界を知っている人ほど冷ややかな目で見るだろう、と思う。
「いまどきは、書店よりもネット書店の力の方が大きい」
「営業しても、本が売れないんだから、やっても無駄だ」
「なにしろ、取次ぎも書店もパンク状態で、末端まで本が行き渡らないんだから、営業しても仕方ないんじゃないの」
「いまどきは勝ち組と負け組がはっきりしている。売れない本は何をやってもだめ」

私自身が長く出版社に勤めていたから、そういう否定的な意見も想像がつく。
だけど、だから嫌なんだ。
やる前からあきらめている。
ネット書店や宣伝力(資本力)には太刀打ちできない。
はなっから、決めて掛かっている。

でも、本ってそういうものじゃないはずだ。
本なんて、たかだか3000部でもちゃんと売れば利益が出るもので、ヒットしたといっても、10万、20万の単位でしかない。
それって、テレビの視聴率に直せば0.1%0.2%とか、誤差の範囲でしかない。出版なんて商売はマスではないんだよ。出版業界のヒットなんて、よほどのことがないと世間一般の人には知られないんだから。

本を読むという行為自体がすごく個人的な行動で、読み方もひとそれぞれで。だけど、だからこそ読書の楽しみはその人にとって大きな体験となりうる可能性も持っていて。そんな曖昧なものは、マスにはなりようがない。
だからメガヒットなんて狙わなくてもいい。小さい商売をこつこつ重ねていけば利益を生み出す、そういうものだったはずだ。
ほんのちょっとした工夫や努力によって、利益が変わる、そういう商売だったはずだ。

その工夫や努力は、たとえば編集者の発案だったり、営業担当の人の頑張りだったり、宣伝マンの企画性に出てくるかもしれない。だが、それがいくらいいものだったとしても、書店という現場で展開してもらえなければ、形にはならない。それを取り次ぎの人が仲介してくれなければ、身動きが取れない。
いろんな人のちょっとした努力で形になるのが、出版という商売だったはずだ。
人の努力や能力、繋がりが目に見える商売だったはずだ。

私個人は、それを確かめたいと思う。
そのための手段が100軒書店を周ること、というのが正しいのかどうかわからないが、実際に書店を周ってみれば、ネットでただ検索するだけではわからないことが見えてくるのだと思う。版元や取次ぎにお任せしていただけでは気づかない、現場の声が伝わってくると思う。
効率なんて、くそくらえ、だ。

書店営業は作家のやるべきことではない、というのはおそらく正論だ。餅は餅屋。本来はプロの営業に任せるべきだと思う。私自身がプロの営業マンの代わりになれるなんてうぬぼれは持っていない。
だが、私はものを書く立場にある。
ものを書く人間は、積極的にものを見るべきだ。
見て、感じたこと、思ったことを発表していくべきだ。
今、出版業界が大きく変わりつつある。電子書籍元年になるだろうとか、いよいよ出版社が淘汰される時代になったとか言われている。
ネットでも、そういう議論がしきりだ。
だけど、それが嫌だ。みんなただ、憶測だけでものをいい、否定論や旧体制への批判ばかりがまかり通る。

もちろん、私もいままでの出版業界のあり方に悪いところが多々あることは知っている。内部にいたからこそ、一般の人より知っているだろう。だけど、それ以上によいところがあるから、今まで続いてきたのだと信じたい。
そして、それを自分の目で確かめたい。

ばかばかしい、ちっぽけな反骨精神から、そう思っている。
で、書店営業100店舗。
できれば、地方を多く回りたい。営業する対象が、名古屋を舞台にしたスケート小説だし、自分の出身地でもあるから、おそらく名古屋中心の営業になるのは間違いない。
名古屋を拠点に岐阜や金沢、三重も周りたいし、関西方面や広島、最終的には福岡にも足を伸ばしたい。あと、仙台には必ず行こう。
名古屋は地元だから、金沢はいとこが住んでいるから、広島は担当編集の出身地だから、福岡には知り合いの書店員がいるから。仙台はスケートの北の中心地だから。
周る理由はきわめて個人的だ。

さらに、訪れる書店も、規模や売り上げはあまり関係ないものになるだろう。基本的には、紹介を重視したい。だから、版元の実業之日本社の営業さんから紹介があればそれが第一だが、私自身の友達や、取材した書店員さんからの紹介があれば大歓迎だ。あるいは、このブログを読んで、「うちにも来てください」という奇特な書店があれば、可能な限り行こう(旅費と日程の都合もあるので、絶対可能かどうか、かわからないが)
だから、結果的に、
「えっ、京都に行ったのに、あの有名書店員に会わなかったの?」
「広島のあの大書店を外すなんて、論外でしょ」
ということになるかもしれない。
でも、それでいい。この取材に関しては、版元が立ち会わないものは基本的に自腹だ。このブログをまとめて、後々本にしよう、なんてせこいことも考えていない。

だから、自分の気持ち次第で動きたい。
何よりも、縁を大事にしたい。
私が見たいのは、何よりも人、なのだから。
100軒、周り終わったあと、どんなことを感じるか、自分でもわからない。
ただ、徒労だった、と思うかもしれない。
それなら、それもいい。
わからないから、やる価値がある。
営業という口実のもとに、100人以上の書店員さんたちとこれから出会えることを、今はただ楽しみにしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

はじめに

最新作「銀盤のトレース」の営業のために、何かしよう、という話を編集者としていた。
「名古屋の話だから、まずは名古屋の書店営業ですかねえ」
と私が言うと、
「そうですね。でも、東京の方も周りたいですね。でも、普通のことをやってもつまらないし」
と、編集者。
「だったら、いっそ100軒とか周りましょうか。デビュー作の『辞めない理由』で50軒まわっているから、それくらいはいけると思いますよ」
ついうっかり言ったことに、編集者が食いついた。
「いいですね、ぜひそれで行きましょう」

そんな具合に書店を100軒周ることに決定した。
書店営業。
普通は、作家はあまりやらない。やるとしたら、営業さんから、
「あの書店さんで先生の方をたくさん売ってくださっているので、先生からもお礼を言ってください」
みたいな感じで頼まれ、営業の人と編集の人に連れられて行く。行った書店には本が平積みになっていて、場合によってはその作家のコーナーが作られたりしていて、
「こんなに売って下さって、ありがとうございます」
と、作家もにこにこしながら書店さんにお礼を言う。まあ、そんな形だ。
実際、「辞めない理由」の営業の時にも、そういう形を取らせていただいたお店もあった。版元がパルコ出版だったので、とくにリブロ系列では手厚く扱っていただいた。
だがまあ、無名の新人作家である。そんないい形を取らせていただいたのは、50軒のうち2、3割程度。大半はまったく本を置いていなくて、
「すみません、こういう本が出たのでよろしく」
と挨拶する。それで、書店さんの態度が好意的だったら、
「じゃあ、何冊か入れてもらえませんか?」
と、すかさず注文表を差し出して、注文を取る。そういうやり方だった。飛び込みで入った店もあったし、自分ひとりで周った店もある(これも飛び込み)。

これは、作家自身はあまりやらない。本来は版元の営業さんのお仕事だ。
でもまあ、営業さんも忙しいし、本を売りたいのは作家自身なのだから、営業さんが許してくれるなら(本来、営業の仕事なので、その職分を侵すことになるし、その会社の営業部の方針の邪魔にならないようにしなければならない)、新人の場合はむしろ自分で営業すべきじゃないか、と思っていたのだ。その当時、「さおだけ屋がなぜ潰れないのか?」でブレイクした山田真哉さんが、デビュー作を売るために100軒以上、自力で営業されたことが話題になっていたから、それに影響されたところもある。

それで4年前に50軒周った。だけど、その時と同じことをやってもつまらない。どうせやるんだったら、私なりに乗れる企画を考えたい。それで、思いついたのが、
「書店員に逆取材してそれをブログに載せよう」
ということ。
実は前回書店を50軒周ったときもブログには記録した。だけど、自分の営業報告だけではあまり面白くない。どれも似たりよったりになるし。
だったら、いっそ書店紹介も兼ねてしまえばいいんじゃないか。最終的に書店100軒のカタログみたいになればいい。そうすれば、訪れた書店さんも、一般の読者も、読んでいて面白いんじゃないだろうか。
何より、書店好きな自分が楽しい。思い出にもなる。

そんなわけで、これから100軒、書店を周り、営業しながら取材もします。写真も撮ります。
営業ということを考えれば、2月3月の短期集中。しかも、2月中旬締め切りの原稿を抱えながらの作業になるので、結構たいへんだし、お金も掛かる(基本的に自腹)。
でも、だからこそ、書店訪問を楽しくしたい。楽しい記録にしたい。読んでもらう人に興味を持ってもらいたい。
そんなことを今は思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)