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2011年7月

No,115 八文字屋SELVE店 再び

この店は仙台の中心部から地下鉄で20分強。仙台の郊外の住宅地、といったところだろうP5040175 か。地下鉄駅の周辺にはファッションビルやスーパーなどが建ち並び、この店もその中のSELVAというおしゃれなショッピングプラザの中にある。
木 を基調とした落ち着いた内装で、棚が低く、ゆったりした印象。目に付くのは雑誌の置かれた三角形の平台。そして、棚で展開しているフェア。訪れた時には 「手拭展」として、色もデザインもさまざまな江戸風流手拭が展示されていた。値段が手ごろだし、カラフルだし、つい衝動買いしたくなる。なかなか素敵な コーナーだ。
さらに店内見回したところ、ここにも大沢在昌さんのサイン色紙を見つけた。「本は復興の第P5040176 一歩」と書かれてあった。中心部の金港堂、ジュンク堂それからこ の後行った丸善でも大沢さんのサインを見た。さらにこの後、中心部から地下鉄でこちらとは反対方向にある紀伊國屋でも見ることになる。人のことは言えな いが、大沢さん、営業マン並みに精力的にまわっていらっしゃる。そして、書かれた色紙の言葉は、ひとつひとつ変えてある。さすがだな、と思う。
作 家もいろんな形で被災地の支援を考えている。印税を寄付したり、作品を無料でネットにアップしたり。だが、こうして現地をまわることも、やり方のひとつ だ。大沢さんほどの大御所が来店されたら、現地の書店さんはやはり嬉しいだろうと思う。また、大沢さんは単独でまわられたのでなく、当然、編集者や営業マ ンが同行している。その飲食代、ホテル代が、現地に落ちることになる。まあ、自分も同じことをしているのではあるけど、大沢さんの方が人数も多いし、影響力も先方の喜ばれ方も違う。それがちょっとうらやましくはある。

ともあれ、実はここには以前お会いした佐藤圭一郎さんを訪ねるつもりだった。しかし、佐藤P5040174 さんはすでに退社されていた。書店も人の出入りが多い業界なので不思議ではないが、時節柄地震が原因ではないかと懸念したが、そういうことではないそうだ(それ以前に退職されているので)。それでちょっと安心する。
替わりに店長の大場宏一さんにお話を伺うことができた。

「地震当日は天井とか壁が壊れることはなかったのですが、本棚が傾き、本が散乱しました。だけど、お客様もスタッフも、全員怪我はありませんでした。地震の直前にたまたま防災訓練をしていましたし、宮城の人は地震に慣れていることもあって、パニックにもならずに整然と避難しました」
宮城には、90%以上の確率で大地震が来る、ということが以前から言われていたのだそうP5040173 である。そういえば、震災のつい数日前にも、震度5クラスの地震があったのだ。市民もそれである程度の気持ちの備えがあったのかもしれない。
震災後、こちらのビルの安全確認のために2週間立ち入ることができなかった。そして再オープンの決まった4月9日直前に再び大きな余震があり、スプリンクラーが壊れたりしたため、少し遅らせて13日に営業再開した。
「オープン当日はまだ開けていない店も多かったので、長蛇の列でした。児童書とか学習参考書、雑誌が顕著に売れました」
ことに、月初めに集中している子供雑誌については圧倒的人気で、在庫を切らせたが、首都圏の書店や、問屋さんの好意で融通してもらったという。
「同じ本屋に助けられました。支援しようという気持ちがほんとにありがたかったです」
そして今、お客さんも元通り集まっている。
通常の営業に戻りつつあるのですね、と言ったところ、大場さんは硬い表情で、
「形だけはそうですね。だけど、これから夏から秋に掛けて、経済的な活動はどうなっていくのでしょうね。たんぼはもうダメですしね。まだまだ長期戦です」

それが偽らざる被災地の人の気持ちだろう。今回周った店はどこも震災後、売り上げは好調P5040172 のようだ。震災で休業した分を補填して十分な売り上げを立てた店も少なくない。だが、それは閉まっている店からお客が流れたり、ゲームやパソコンなどが使えなかった代替品として本が売れた、ということもある。永続的なものではないだろう。さらに、今後の景気次第では、生活必需品ではない本の売り上げがどうなっていくのかわからないし、それ以上に、東北全体がどうなっていくのか、先行きは見えない。
現地の人々の不安に応えることは、誰もできない。
一見、賑やかな仙台。しかし、まだまだ完全復活への道のりは遠い。
それを改めて想ったことだった。

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No,114 横田やと「こどもとあゆむネットワーク」

この日は仙台の本イベント「Book !Book!仙台」の一箱古本市が開催されていた。アーケードP5030151_3 のあるサンモール一番町商店街で、それぞれ工夫を凝らした店がいくつも並ぶ。それを眺めたり、神社の一角を借りてイラストやおみくじの売り子をしているジュンク堂仙台ロフト店の佐藤ジュンコさんに会ったり、イベントの主催者である「火星の庭」という古本屋でお茶をしたり。それはそれで楽しい時間だったが、早々に切り上げ、タクシーで横田屋という児童書専門店に出掛けた。横田やの店主で、ボランティアグループ「こどもとあゆむネットワーク」の代表をされている横田重俊さんに会うためだ。
実は前日、東松島図書館の重い現実を知り、本を巡るボランティアというものをもっと知りたくなり、帰る道中で横田さんに急遽、アポを取ったのだった。「こどもとあゆむネットワーク」は、先の東松島図書館にもかなり早い時期(4月17日)に9千冊もの本を寄贈している。ほかにも、保育園や学校に、本やおもちゃ、備品などを届ける運動をしている。

同行するのは佐藤店長、それからこの日東京から来たばかりの空犬さん(吉祥寺の書店関 係者の集まりである吉っ読むの仕掛け人)のふたり。佐藤店長は前にも書いたが、広島で本を送る運動を進めており、空犬さんも吉っ読むの集まりで募金を集めたりしている。私自身も、横浜会という大崎梢さんを中心とした横浜近辺の出版関係者の集いで集めた募金を預かっていた。空犬さんも私も、募金先は佐藤ジュンコさんや横田やさんなど、書店関係者が関わっている「こどもとあゆむネットワーク」がいいのでは、と考えていた。だからこそ、話を伺うのはここがいい、と思ったのである(なお、「Book !Book!仙台」や火星の庭については、空犬さんの空犬通信に詳細なレポートがありますので、そちらを読んでください。http://sorainutsushin.blog60.fc2.com/blog-entry-1629.html
横田やについても、碧野とはまた違った側面からレポートしてくださっているので、そちらもぜひチェックしてくださいね
http://sorainutsushin.blog60.fc2.com/blog-entry-1636.html)。

さて、横田や。こどもの本とおもちゃを売っているお店だが、店構えがとても素敵。年季の P5030155_2 入った木造の古民家風の建物で、「横田や」という木の看板が掲げられている。縁台もあるし、外観見ただけで、三人ともテンションあがりまくり。写真をばちばち撮りました。
店の中も、外観同様わくわくします。右半分は子どもの本、左半分がおもちゃ。おもちゃといっても、いまどきのキャラクター物とかじゃないんだよね。木で出来た、しっかりした造りの、昔ながらのおもちゃ。流行に左右されないので、10年も20年ももちそうなものばかりだ。実際に遊べるコーナーもあって、小さい子がひとりで遊んでいたり。部屋のあちこちに、絵やぬいぐるみが飾られていて、それを見ているだけでも楽しめる。
ここはもともとは140年続いた味噌と醤油のお店だったそうで、横田さんの代で文具と絵本の店に転業した、それが30年以上前。その3,4年後にはおもちゃを始め、だんだん文具が減り、今の形に落ち着いたという。取材がなければ店をずっと見ていたいと思ったが、そうもいかないので、店内の読書用のテーブルでお話を伺った。

横田さんは震災後、10日目くらいに石巻に渡り、現地の保育所を見た。そして、避難所以外P5030159_2 にも本を必要としているところがあることに気がついた。学校、保育所、さまざまな公共施設。
津波の被害はもちろんだが、津波に流されなかった場所でも、たとえば図書室の隣でボヤが起こり、そのために1万冊の本が煙で燻されてダメになったとか。
それで「こどもとあゆむネットワーク」を立ち上げた。子どものために「絵本」「おもちゃ」「文房具」「遊び」を届ける、というのが最初の目的だった。
「いままでこういう仕事をしてきたので、いろいろ繋がりがあり、いろんな情報が入ってくるんです」
送った本は約4万冊。そして、本を届けながら、御用聞きをしていった。すると、本やおもちゃだけでなく、現地で必要とされている物がいろいろわかってくる。パソコンとか、電子ピアノとか、プリンターとか。学校の授業や保育所の活動を支えるさまざまな備品も足りないのだ。
それを集めたり、寄付金を使って購入したり。
「被災地の状況は刻々と変わっているんです。今必要なのは絵本よりも、辞書や調べ学習のための本、授業で使うための本なんです」
寄贈も受け付けるが、寄付金を使って購入する時は、地元で買うようにしている。それが地元への貢献になるからだ。
実に細かい、草の根的な活動だ。こういうやり方であれば、確かに必要としている人に必要 なものが届くだろう。だけど、それをやる横田さんやボランティアスタッフの手間もたいへんなものにちがいない。
「30年も、こういう商売で食わせてもらいましたから、少しは恩返しをしたいと思うんですよ。それに、本とかそういうものは、今のお役所の予算からはなかなか周らないものですからね」

そして今、力を入れているのは、本棚を贈る運動。せっかく本を届けても、届けた先には本棚P5030163 がない。段ボールに入れたままの状態で廊下や部屋の隅に置かれ、そこから取り出して読む、という形になっている。あるいは置き場がないので段ボールから取り出せず、そのまま放置されている。
それで、地元の会社とタイアップし、木製並みの強度がありながら、使用後はリサイクルとして活用できる段ボールの本棚を開発した。それを一般の人に買ってもらい、必要なところに届ける「本棚プロジェクト」を進めている。

http://www.ayumunet.jp/?page_id=304

さらに、物の支援だけでない。今は保育士を支える活動を考えている。
「震災時から公立の保育所はそのまま避難所になった。そこで働く保育士たちは(自分も被P5030156_2 災者なのに)そのままそこで働いている。彼らの疲労はたいへんなものだ。その人たちを誰かがケアしていかないと」
そう語る横田さんは、しかし、決して悲壮ではない。むしろ活動自体を楽しんでいるようにさえ見える。
「だけど、こうした活動をすることで、(本屋である)自分の首を絞めているんですけどね」
深刻なことをさらりと言って、笑い飛ばす。
このおおらかさが、人を集め、こうした活動を実り在るものにしているのだろう。
「僕らはこの活動を3年と決めているんです。3年経っても、まだ僕らの支援が必要だというのなら、それは社会が悪い。そして3年後、僕らは日本一の図書館を造りたい。建物は公共で、中の本はお金を集めて地元の本屋から購入する。それが実現するまで頑張りますよ」

その明るさに救われた気がした。被災地に入ってからは自分たちの無力を痛感することばかりだったが、横田さんの話を聞いていると、まだまだやれることがあるかもしれない、そんな思いが沸いてくる。横田さん曰く、
「今回の震災では、被災地以外の人も傷ついている。だから、その気持ちも受け止めなければと思う」
だから、「役に立ちたい」とやってくる被災地以外の人たちを拒むことなく、本の仕分けなどの仕事を与える。そうすることで、彼らの気持ちが慰められることを知っているからだ。もしかしたら、我々のために時間を取ってくれたのも、同じ想いからだったからかもしれない。
実は横田さん自身も被災し、家屋の破損こそなかったものの、停電や断水などの被害を被った。もちろん商売的な打撃も受けている。にもかかわらず、この思いやり。優しさ。そしておおらかさ。
人はこんなにも優しくなれるんだな。
その事実に感動し、こういう人と出会えた縁に感謝しつつ、店を辞した。
これだけでも、仙台に来た甲斐がある、と思いながら。

後日、横浜会で集めた募金47,086円を全額こちらに振り込みました。本棚と本購入資金に使ってくださいというコメントを添えたので、そちらに利用してくださることと思います。
ご協力くださった横浜会のみなさんに、あらためてお礼申し上げます。

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NO.113 あゆみBOOKS 仙台店

さて、ここも某営業マン(リラ・パークこなりの推薦者とは別の方)が強力にお薦めしてくださっP5030143_2 た店。実は紹介されるまでもなく、昨年仙台を訪れた時、ここを訪問している。あゆみBOOKSは昔住んでいた家の近くにもあり、センスのいい店という印象がある。ここ仙台店も、外観からしてお洒落な感じだ。ここもブログにぜひ上げたかったのだが、その時は店長さんがいらっしゃらなかったのでNGだったのである。
だが、今回は某営業マンの口利きもあり、店長の二階堂健二さんにお話を伺うことができた。

実は二階堂さん、つい半年前まで五反田店の店長をされていた。赴任したばかりでまだ地域性がわからず、手探りでいろいろ仕掛けているところに、あの震災。
「震災があったのは、銀行に行っていたのですが、急にカタカタという音がして、ビル全体がP5030147_2 重機に振られているような、尋常じゃない揺れがありました。僕はビルの入り口のところに居て、自動ドアが閉まらないように手で押さえていました。揺れが収まると人がいたるところに出ていて、車も止まって、道が通れない状態になっていました」
それでもなんとかお店に辿り着くと、棚は一本も倒れてはいなかったが、本は半分以上が床に落ちていた。電気も止まっているし、その日はそのままシャッターを閉めた。二階堂さん自身も、その晩は避難所で一夜を明かし、翌日帰宅したという。
しかし、3日後には店の方は電気が通ったので片付けをはじめ、15日には営業を再開した(系列の仙台青葉店も同時期に営業再開。だが、昨年12月にオープンしたばかりの仙台一番町店は、今に至るも営業再開していない)。
「ですが、オープンして最初の2,3日はお客様は全然いらっしゃいませんでした」
たまに地図を探しにくるお客さんがいるくらい。オフィス街の傍にあるこのお店、オフィスが閉P5030146_2 まっているとお客さんもいない。それに近くの店は全部閉まっていたし、電話や電気も通じてない地域も多かったから、ここが開いていること自体、伝わっていなかったらしい。
その状況が変わったのは、傍にあるダイエー仙台が営業再開し、品物が潤沢にあることが伝わって、長い長い行列が出来るようになってから。
被災しなかった我々には想像がつかないが、震災直後は停電や在庫がないなどの原因で、仙台のほとんどの店が営業できなかった。だから、人々は食料を求めてあちこち探し回っていたのである。
「その先の公園のところまでずっと行列ができていたんです」
そのお客さんが、この店にも流れてきた。近隣で開いている店はここだけだったので、目立ったということもあるし、日常の買い物ができることにお客さんがほっとしたということもあったのではないだろうか。
そして、そこからはすごい混雑になった。
「一番、聞かれたのは『少年ジャンプ』、それに『コロコロコミック』といった子供のコミックです。P5030145_2 女の子ものでは『チャオ』とか」
すぐに在庫が足りなくなるが、休んでいる一番町の在庫を持ってきたり、出版社から直送してもらったり、宅急便が復旧してからはそれで送ってもらったりして対応したという。
その後は、震災関係の本が動いた。500円ぐらいのグラフ誌それに地元の河北新報社の写真集がやはり売れた。ほかにも、コミック、文庫、あらゆる娯楽系の本が売れた。ことに時代小説は、毎日補充が必要なほどだったという。

郊外の書店は停電などが続き、なかなかオープンできなかったので、この店の混雑状態は震災後2ヶ月ほどは続いた。最近になって、ようやく店も落ち着きを取り戻してきたという。私が訪れた日も、店はほどよく混雑し、平台や棚にも、工夫を凝らした展示がなされている。1年ほど前に訪れた時と、あまり変わりがないように思える。
「だけど、車で10分も行けば、津波で何もなくなったところに出ますから。この辺を歩いている人でも、近親者を亡くした方はたくさんいますし、レストランや喫茶店でも、そんな会話が聞こえてきたりします」
おそらく、スタッフにもそういう方がいるのだろう。よそから来た二階堂さんにはそうした被害はなく、だからうかつに震災のことを語ることはできないと感じているようだった。私に話しをするのも辺りに気を遣い、小声で話されていた。

一見、平穏に見える仙台。実はその前日、佐藤店長と駅近辺で食事できる店を探した。閉P5030148_2 まっている店はほとんどなく、いいなと思う店は混雑して入れなかった。お客さんは賑やかに酒を楽しみ、仲間と談笑しているようだった。この日行われていた一箱古本市も活況だったし、アーケードのある商店街ではコーラスグループが歌を歌っていたりして賑やかだった。
すっかり元通りなんだな、と思ったのは他所者の錯覚で、目を凝らせばあちこちの建物にひび割れや落下の後が残っているし、何よりまだ人々の心には震災の記憶が生々しく残っているのだ。
だけど、だからこそ「仙台はもはや被災地ではない」と言いたくなるのだろう。ともすれば、被災の生々しい痛みに気持ちが引き裂かれそうになる。だけど、そこに耽溺していても何も始まらない。だからこそ、意地を張っても、大丈夫だと他人にも自分にも言い聞かせる。
「仙台人の誇りに賭けて、もはや被災地とは言わせない」
ジュンク堂仙台ロフト店の山口さんの言葉を、私はもう一度思い出していた。

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NO,111 ブックスミヤギ再び

東松島に行くバスに乗るまで時間があったので、駅ビルのブックスミヤギを訪ねた。新幹線P5020102 のホームに近いのでその待ち時間に立ち寄るお客さんが多いようだが、この日も店は前以上に混雑していた。幸い、前回お会いした細川早苗さんが居てくださったので、お忙しい仕事の合間にちょっとだけお話を伺った。

「こちらは、震災時は天井が少し落ちたりして、20日ほど休みました。4月1日からオープンしたのですが、その直後はこんなに人が来るなんて、と思うほど人が来ていましたよ」
こちらのお店には、震災関連本の平積みのほか、仙台や福島の本のコーナーがあった。福P5020103 島の情報誌「Monmo」そして仙台の情報誌「りらく」がバックナンバーもあわせて壁一面に展開されている。
「被災地の版元を応援しようと思って」
おお、素晴らしい。
これもまた、書店なりの支援のやり方だ。
東京の書店でもそんなコーナーがあるかな?被災地の本を被災地以外のところが盛り上げてこそ、と思うのだが。「Monmo」や「りらく」それに個人的には盛岡の「てくり」や「rakra」をあわせ、さらにそちらのガイドブックといっしょ にコーナーを作る。フェアタイトルは「この夏、東北へ行こう!」なんてどうかな。
実は「てくり」のスタッフの人に伺ったところ、東京で「てくり」を置いている店はほとんどないそうだ。あんなに素晴らしい本なのに。見るとびっくりするよ、レベルの高さに。絶対、東京でもお洒落な本が好きな人にはうけるはず。東京のタウン誌2誌でライター経験のある私が言うんだから、間違いない(って、私はてくりの回し者か)。

駅ビルの、混雑した店なので、早々に退去したが、それでも細川さんの明るさは嬉しかった。P5020104_2
「東京から来る版元さんにも、『元気ですねえ』と、あきれられるんですよ」
震災後、混雑して忙しいが、それもまたよし。家を失ったり、仕事を無くしたりする人もまわりに少なくない。そんななか、
「行くところがあって、ほんとによかったと思うんですよ」
と、細川さんは笑う。
そうだ、すでに仙台は次への一歩を歩み出している。そんな時に、するべきことのある人間がくよくよしていられない。
そんな力強さを感じさせる笑顔だった。
短い時間だったが、心和まされるひと時だった。
来てよかった、と思った。

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No.109 さわや書店フェザン店 再び

さて、宮古から終バスで盛岡に戻る。着いたのは8時半過ぎ。フェザン店は9時までなのでP5010091_2 閉店直前だったが、事前にアポを取っていたので、田口幹人さんが待っていてくださった。

この店はあのさわや書店の系列店ということで有名だが、近年はツイッターでさかんに情報発信していることでも知られている。私はツイッターで書店を数多くフォローしているが、その中でもこの店は目立つ。震災直後、ツイート上から震災情報以外の書き込みが消えた時でも、この店だけは自店や岩手県内の情報をさかんに発信していたのが印象深かった。

「震災当日は店にいて電話をしているところだったのですが、突然、地震速報が鳴って、電話P5010081 が切れ、何があったのだろうと思う間もなく、揺れがきました」
だが、駅ビル自体が頑丈に出来ていることから、地震の場合は外に出るよりビル内に居た方が安全だ、そういう指導を受けていた。それで、お客さんを外に出すことなく、ビルの中で待機していた。店内は平積みの本が崩れたり、棚から一部落ちたりしたが、壁や棚が崩れたりすることはなかったが、電気が消え、バックヤードの方で配管が破れたところがあったという。
震災が収まった直後は電気が止まり、電話も通じず、テレビも映らず、何が起こったかわからない状況だった。が、そこはやはり田口さん、ツイッターでまずスタッフの安否確認を行ったという。スタッフの多くがツイッターを利用しているこの店、ほどなく全員の無事が確認されたそうだ。

震災の翌日はビル自体の立ち入りが禁止され、2日後に片付けすることが許された。同時にP5010082 田口さんたちフェザン店のスタッフは、ツイッターを通じて盛岡の情報を流すことを始めた。
「その時は情報がなく、ラジオだけが頼りだったのですが、それにしても盛岡だけフォローしているわけではない。だったら、うちのツイートに情報を集めようと思ったのです」
震災直後はどのラジオもテレビも被害の大きさやまだ続いている2次災害の情報を伝えるだけに追われていた。しかし、被災地それぞれで生活があり、必要とされる情報がある。
たとえば、どこのスーパーが開いているとか、ガソリンがどこで手に入るとか、どこの信号が消えていて危ないとか。
「幸い、うちのスタッフは盛岡のあちこちに散らばっていますから、それぞれがそこにいて知りえた情報を流したのです」
実はこの店、震災後、わりと早い時期(3日後だったと思う)には店を再開した。
「その時のお客のいなさ加減に愕然としました。JRもバスも止まっているし、タクシーも走っていないから、当然といえば当然なのかもしれないのですけど」
そして、オープンしたその翌日には、再び店を閉めることになった。ビル自体の安全点検のP5010087_2 ため、8日間、休業を強いられたのである。
「それで、今自分たちがやるべきことに頭を切り替えたのです」
店は閉めたが、品物は入っていた。それを支店に届けながら、情報を集めていったという(当初はガソリンがないために、台車を押して周ったそうだ)。

なるほど、そのためのツイートだったのか、と今になって理解する。そうした情報の価値は被災しなかった我々にはぴんとこない。マスメディアに映る被害の凄 さとか、原因追究とか、政府の対策とか、そうしたものに目が行ってしまうし、それらが一番大事な情報だと思ってしまう。
しかし、被災してもなお生活する人々には、起こってしまった災害を振り返るよりも、今日明日をどう生き抜くかが大事なことだったはずだ。
この店の流した情報は、それを手助けするものだったのだ。
「素晴らしいことをなさいましたね」
感心する私に対して、
「いえ、それも地場の店の役割だと思いますから」
と、気負いなく答える田口さん。

地場の店。
そうなのだ。さわや書店は本店もフェザン店も地場の店、という言葉がスタッフの口から出てP5010083 くる。
大型チェーンでなく、岩手だけでずっと頑張ってきた店。岩手の人たちと歩んできた歴史がある店。そうした誇りを、スタッフの言葉だけでなく、店の品揃えからもひしひしと感じる。
そして、そういう店が地元の危機に直面した時、やるべき行為としてごく自然に「情報発信」ということが出てきたのだろう。

震災後、何か変わったことはありますか、というこちらの質問に、
「震災直後はビジネス書が全然売れなかったのでそのコーナーを縮小し、かわりに郷土のもP5010090 のをすごく増やしました」
昔の岩手の風景を写した写真集であるとか、歴史書であるとか。数が少なかったが、版元に直接交渉したりして本をかき集めたという。もともと郷土コーナーが充実していることに掛けては、私が回った100軒ほどの店のなかでもダントツだったが、さらにそれを増やしたのだ。
「流されてしまって失われた光景を、記録として残しておかなければ、と思うのです」
田口さんは当初、震災のグラビア写真を置くことさえためらった。被災して傷ついた人たちに嫌なことを思い出させる、そんな気遣いが働いたのだ。その優しさゆえのコーナー作りだったのだろう。
「岩手の人は声高に郷土愛を叫ぶわけではないけど、郷土に対する執着は強い風土だと思います」
ところで、結果的には、昔のものも被災写真も両方とも動いている。古き良き岩手を懐かしむと同時に、今の郷土の苦難もしっかり見つめておきたい、そんなふうにしたたかにお客さんは思ったのではないだろうか。そういう意味では、田口さんの読みは、いい方に外れた、と言えるかもしれない。

あっという間に時間が経ち、閉館を告げる館内放送が流れた。それで店の外に出ると、廊下P5010093 に「がんばろう東北」という手作りのポスターが飾られているのを見つけた。その文字はよく見ると、スマイルマークの丸い切り抜きを集めてかたどったものだった。
「ツイッターに写真を上げたら、それを観たあちこちの書店で同じものを作って飾ってくださったんですよ。すごく嬉しかったですね」
全国ツイッター書店の応援。
同じ仕事をする仲間として「応援しているよ」という気持ちの表れ。
声高に被災者支援を叫んだり、わざわざ現地に行かなくても、こういうやり方もあるのだな、とP5010095 思う。
いまの時代でなければ生まれないやり方だし、ツイッターを駆使しているこの店に対して何よりの応援ではないだろうか。

東北一日目はこうした終わった。
しんどい一日だったが、最後のポスターで心和んだ。
東京でこのスマイルマークが見られるといいな、と思いながらホテルに向かった。

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